「どうしても、思いどおりに小説が書けません。どうしたら、良いでしょうか?」と尋ねられることも少なくないのだが、そういうときは、「思いどおりに書けなかった小説を見せて下さい。何作くらいあるんですか?」ときき返す。1作も書けていない人が多い。1作も書いてないのに、どうして思いどおり書けないなんて言うのだろうか? 書いてから悩めば良いではないか。書けない書けないと悩む人がいるけれど、書けないなんてことはない、なにかは必ず書ける。幼稚園児だって書ける。100時間も1000時間も悩めば、必ず書けるだろう。5作くらい書けば、自分の才能が小説に向いているか向いていないか、多少はわかるのではないか。
多くの人が言う「考えた」というのは、「考えようとした」のことらしい。同様に「悩んだ」も「悩もうとした」である。否、たとえ考えようとするだけでも、100時間くらい考えようとしていれば、なにかは実際に考えるだろうし、そして、考えれば、なにかは思いつくだろう。きっと具体的な案がいくつか出てくるはずだ。ほんの一瞬だけ考えようとしたくらいで「考えた」なんて言わないでほしい。
沢山の具体案を考えることは、無駄なようでけっして無駄ではない。採用されなかった案が、その人の将来の持ち駒になるからだ。
多くの人が言う「考えた」というのは、「考えようとした」のことらしい。同様に「悩んだ」も「悩もうとした」である。否、たとえ考えようとするだけでも、100時間くらい考えようとしていれば、なにかは実際に考えるだろうし、そして、考えれば、なにかは思いつくだろう。きっと具体的な案がいくつか出てくるはずだ。ほんの一瞬だけ考えようとしたくらいで「考えた」なんて言わないでほしい。
沢山の具体案を考えることは、無駄なようでけっして無駄ではない。採用されなかった案が、その人の将来の持ち駒になるからだ。